秀吉は「千々の悲しみ」を聞いたか(暫定版) その2
日本にキリスト教が伝えられたのは皆様日本史で学んだとおり、1549年にザビエルが来着したことに始まります。
ザビエルの日本滞在は2年ほどでしたが、その後フロイス、オルガンティノ、ヴァリニャーノと言った宣教師たちが活動を行い、すこしずつ宣教の拠点を増やしていきます。
なお、当時のヨーロッパは所謂「大航海時代」、ポルトガルとスペインが世界各地の海にでかけていましたが、イエズス会も同様、ポルトガルとスペインで宣教地区を分け、インドより東はポルトガルが担当していました。
ポルトガルとスペインは、考えようによってはライバル関係でもありました。
この点は覚えておいてください。
彼らはコレジオ、セミナリオといった養成機関で修道士の育成を始めます。
天正遣欧使節の4人もこういった機関で教育を受けました。
その内容は地理学・天文学・語学(ラテン語)・宗教・美術・音楽などリベラルアーツと呼ばれるものです。
音楽はグレゴリオ聖歌などの宗教曲であり、シャンソンなどの世俗曲ではありません。
なお、御前演奏より後の1605年に長崎で「サカラメンタ提要」という、キリスト教の儀式についての本が出版され、そこに載せられているグレゴリオ聖歌が、日本で最初の楽譜出版とされています。

話をもどします。
天正遣欧少年使節団の4人も同様の教育を受けたと思われます。
また楽器類に関しては詳らかにしない部分もありますが、大内家文書に1551年ザビエルが「響鐘の声と十三の琴の絃ひかざるに五調子十二調子を吟ず」るクラヴォを贈呈した旨の記述があります。
おそらくは共用弦タイプのクラヴィコードであろうと思われます。
*クラヴコードは弦を突っついて音を出す鍵盤楽器。
鍵盤と弦が1:1で対応する専用弦タイプと、1本(組)の弦で複数の鍵盤に対応する共用弦タイプがあります。
ザビエルの日本滞在は2年ほどでしたが、その後フロイス、オルガンティノ、ヴァリニャーノと言った宣教師たちが活動を行い、すこしずつ宣教の拠点を増やしていきます。
なお、当時のヨーロッパは所謂「大航海時代」、ポルトガルとスペインが世界各地の海にでかけていましたが、イエズス会も同様、ポルトガルとスペインで宣教地区を分け、インドより東はポルトガルが担当していました。
ポルトガルとスペインは、考えようによってはライバル関係でもありました。
この点は覚えておいてください。
彼らはコレジオ、セミナリオといった養成機関で修道士の育成を始めます。
天正遣欧使節の4人もこういった機関で教育を受けました。
その内容は地理学・天文学・語学(ラテン語)・宗教・美術・音楽などリベラルアーツと呼ばれるものです。
音楽はグレゴリオ聖歌などの宗教曲であり、シャンソンなどの世俗曲ではありません。
なお、御前演奏より後の1605年に長崎で「サカラメンタ提要」という、キリスト教の儀式についての本が出版され、そこに載せられているグレゴリオ聖歌が、日本で最初の楽譜出版とされています。

話をもどします。
天正遣欧少年使節団の4人も同様の教育を受けたと思われます。
また楽器類に関しては詳らかにしない部分もありますが、大内家文書に1551年ザビエルが「響鐘の声と十三の琴の絃ひかざるに五調子十二調子を吟ず」るクラヴォを贈呈した旨の記述があります。
おそらくは共用弦タイプのクラヴィコードであろうと思われます。
*クラヴコードは弦を突っついて音を出す鍵盤楽器。
鍵盤と弦が1:1で対応する専用弦タイプと、1本(組)の弦で複数の鍵盤に対応する共用弦タイプがあります。
秀吉は「千々の悲しみ」を聞いたか(暫定版) その1
以前予告しましたように、天正遣欧少年使節団の御前演奏に関する覚書です。
最初にお断りしておきますが本職の音楽学者ではなく素人なので、正確性は保証いたしかねます。
できれば一次資料にもあたりたいところですが私の語学力では無理なので、翻訳や先達の論文などを参考にしております。

素人の暇つぶし程度に思ってくだされば幸いです。
天正遣欧少年使節団が天正19年(1591年)、豊臣秀吉の御前で演奏したことは、ルイス・フロイスの「日本史」第三部十五章(等)に記述されています。
日本側の資料は無いかと思ったのですがそれに触れたものは皆無でしたので、書かれていないか見つかっていないかのどちらかと思われます。
まず少し長くなりますが、フロイスの「日本史」から引用します。
興味のある方は「続きを読む」をクリックしてね。
最初にお断りしておきますが本職の音楽学者ではなく素人なので、正確性は保証いたしかねます。
できれば一次資料にもあたりたいところですが私の語学力では無理なので、翻訳や先達の論文などを参考にしております。

素人の暇つぶし程度に思ってくだされば幸いです。
天正遣欧少年使節団が天正19年(1591年)、豊臣秀吉の御前で演奏したことは、ルイス・フロイスの「日本史」第三部十五章(等)に記述されています。
日本側の資料は無いかと思ったのですがそれに触れたものは皆無でしたので、書かれていないか見つかっていないかのどちらかと思われます。
まず少し長くなりますが、フロイスの「日本史」から引用します。
興味のある方は「続きを読む」をクリックしてね。
直った?
さて、赤道儀のチェックです。
赤緯軸のモーターは、いかにも後から取ってつけたよう。
まず上部カバーを取ってみます。
カバーを留めるネジは写真赤丸の4箇所。

このうち3箇所は簡単に緩められますが、右下の1箇所は鏡筒を固定する台座が邪魔をして中々アクセスできません。
ああでもないこうでもないと台座を回すこと10分、かろうじてアクセスできるポイントを見つけ何とか取り外すことができました。
カバーを外した状態で回してみると、高速回転では気づきませんが低速回転をさせると微妙な違和感が。
そこでまずギアを固定しているネジをチェック。
すると、青丸のネジがほんの少しだけ増し締めできました。
これかな?
また、写真⇒部分にギアの位置を調整するネジが3箇所ります。
このうち黄色の部分は何もしなくてもアクセスできますが、緑色(ギアを挟んで2箇所)はギアを外さないとアクセスできません。
黄色部分はしっかり締まっていました。緑色部分はどうしようかと思いましたがけっこう大事になりそうなので今回はパス。
とりあえずこの状態で回してみると・・・
先程の微妙な違和感はなくなりました。
そこで実際に鏡筒を載せて更にチェック。
問題はなさそうなので、鏡筒を取り外した後グリスアップして暫く稼働。
実際に撮影してみないと何とも言えませんが、これで直ったかな?
赤緯軸のモーターは、いかにも後から取ってつけたよう。
まず上部カバーを取ってみます。
カバーを留めるネジは写真赤丸の4箇所。

このうち3箇所は簡単に緩められますが、右下の1箇所は鏡筒を固定する台座が邪魔をして中々アクセスできません。
ああでもないこうでもないと台座を回すこと10分、かろうじてアクセスできるポイントを見つけ何とか取り外すことができました。
カバーを外した状態で回してみると、高速回転では気づきませんが低速回転をさせると微妙な違和感が。
そこでまずギアを固定しているネジをチェック。
すると、青丸のネジがほんの少しだけ増し締めできました。
これかな?
また、写真⇒部分にギアの位置を調整するネジが3箇所ります。
このうち黄色の部分は何もしなくてもアクセスできますが、緑色(ギアを挟んで2箇所)はギアを外さないとアクセスできません。
黄色部分はしっかり締まっていました。緑色部分はどうしようかと思いましたがけっこう大事になりそうなので今回はパス。
とりあえずこの状態で回してみると・・・
先程の微妙な違和感はなくなりました。
そこで実際に鏡筒を載せて更にチェック。
問題はなさそうなので、鏡筒を取り外した後グリスアップして暫く稼働。
実際に撮影してみないと何とも言えませんが、これで直ったかな?
木星2023 2回目+α
本年度2回目の木星です。

今回はあっさり目の仕上げ。
昨晩、というか今日だよな、天気が良さそうに見えてけっこう薄雲が出ており、満足な結果は得られませんでした。。。
左上の光点はエウロパみたいです。
実は赤道儀の調子が悪く、赤緯軸の回転が少しカクカクします。
最初はバランスが悪いのかと思ったのですが、どうやらそうでは無さそう。
ギアのかみ合わせが悪いのかなあ。。。
修理に出すにしても途中で代理店が変わっているので、どこに出せば?
とりあえずこの週末にバラしてチェックするつもりでいます。
終末にならないよう祈ってます。

今回はあっさり目の仕上げ。
昨晩、というか今日だよな、天気が良さそうに見えてけっこう薄雲が出ており、満足な結果は得られませんでした。。。
左上の光点はエウロパみたいです。
実は赤道儀の調子が悪く、赤緯軸の回転が少しカクカクします。
最初はバランスが悪いのかと思ったのですが、どうやらそうでは無さそう。
ギアのかみ合わせが悪いのかなあ。。。
修理に出すにしても途中で代理店が変わっているので、どこに出せば?
とりあえずこの週末にバラしてチェックするつもりでいます。
終末にならないよう祈ってます。