マザラン枢機卿のトンボー
1年ぶりのトンボーです。
今回はゴーティエの「マザラン枢機卿のトンボー」

マザラン (Jules Mazarin ; 1602年7月14日 - 1661年3月9日)はイタリア人ですが、フランス宰相リシュリューに認められてフランスに帰化。
枢機卿を経て、リシュリューの死に際し次期宰相に指名されました。
ルイ13世亡き後は幼いルイ14世の摂政をつとめ、名実ともにフランス政界のトップに君臨しましたがイタリア人ということで快く思わない人もいたようで、アレクサンドル・デュマの「ダルタニアン物語」ではちょっと酷い言われ様をしています。
作曲者に関しては1つの写本にゴーティエとあるだけで、他の写本には記されていません。
エヌモンは1651年に亡くなっているので、一番可能性のありそうなのはドニ・ゴーティエ(1603-1672)ですが、マザランとの接点が分かりません。
ただ少し調べていたら、ドニの曲集の1つ "La rhétorique des dieux" に挿絵等を描いたロベール・ナントゥイユがマザランの肖像画も描いていることが分かりました。

今回はゴーティエの「マザラン枢機卿のトンボー」

マザラン (Jules Mazarin ; 1602年7月14日 - 1661年3月9日)はイタリア人ですが、フランス宰相リシュリューに認められてフランスに帰化。
枢機卿を経て、リシュリューの死に際し次期宰相に指名されました。
ルイ13世亡き後は幼いルイ14世の摂政をつとめ、名実ともにフランス政界のトップに君臨しましたがイタリア人ということで快く思わない人もいたようで、アレクサンドル・デュマの「ダルタニアン物語」ではちょっと酷い言われ様をしています。
作曲者に関しては1つの写本にゴーティエとあるだけで、他の写本には記されていません。
エヌモンは1651年に亡くなっているので、一番可能性のありそうなのはドニ・ゴーティエ(1603-1672)ですが、マザランとの接点が分かりません。
ただ少し調べていたら、ドニの曲集の1つ "La rhétorique des dieux" に挿絵等を描いたロベール・ナントゥイユがマザランの肖像画も描いていることが分かりました。

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